H27年4月に大阪から東京に引っ越してきました!!
大阪生まれ、大阪育ちなので初めての東京ですが、友達0人からはじめて、3年後に大阪に帰る頃にはどの位増えているのか今から楽しみです。
最近はもっぱら仮想通貨とブロックチェーンの勉強をしています。
※年中カジュアルデイ実施中。
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出身地 | 大阪府枚方市 | |
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生年月日 | 1978年10月15日 | |
出身校 | 同志社香里高校〜同志社大学商学部 | |
経歴 | 2003年10月〜2005年12月 2006年1月〜2012年9月 2012年11月〜2015年3月 2015年6月〜 | 日本中央税理士法人 大阪事務所 税理士法人トーマツ 大阪事務所 税理士法人セルボ・クレール 大阪事務所 税理士法人セルボ・クレール 東京事務所 |
開業当初に書いた自己紹介文をそのまま東京事務所のHPに載せるのは気が引けますので、今の僕の心境にあわせて新規一転書き直したいと思います。
血気盛んな開業当初の人物像にご興味のあるかたは大阪事務所のHPをご覧ください。
子供の頃はどんな子供でしたか?
どうでもいいことなんですが、税理士法人トーマツで健康診断(人間ドック)で血液検査をやるまでは、自分の血液型を知りませんでした。
ただ、周囲の友人からはお前絶対「B型やで。」と言われ続けて、案の定、血液検査の結果も「B型」だったので、みんなの期待を裏切らずよかったと思った記憶があります。
B型の人って「我(が)の強い、ちょっと付き合いづらい人」っていうイメージだと思います。悪くいうと自己中心的のような、、、、ある意味天才かも笑
ただ、税理士事務所を開業してスタッフを引っ張っていくのであれば「B型」でとてもよかったと感じています。
「B型」ばかりのメンバーだと僕もシンドイですが、「A型」気質の人が周囲にいると「B型」って大分中和されていい感じになるんですよ。
とまぁ、どうでもいい話ですが、個人的には協調性のある「B型」と自負していますが、事務所のスタッフに言わせれば独裁者の「B型」らしいです笑
不思議と事務所のスタッフには僕以外に「B型」がいないのでそう映ってしまうのかもしれませんね笑。
で、子供時代の話ですが、今思い起こしてもとても可愛げのない子供だったと思います。
自分の興味のあることにはとことんコダワリますが、自分の中でどうでもいいと思ったことには全く興味をしめさないワガママな子供でした。
また、大人に対してこうすればウケがいいだろうと、予め計算して動くようなずる賢い一面もあったと思います。
ほんと、今とあんまり変わっていませんね笑
なぜ税理士になったんですか?
木下とよくお酒を飲みながら、「税理士」ってのはいい職業やなと話しています。
こういう風に感じることができるようになるまでには、自分で税理士事務所を開業するか、よっぽど責任感を持ってクライアントと向き合わないと感じることはできないと思います。
税理士になりたいという僕らの次の世代の人が年々減少している現状をとても残念に感じていますし、もったいないなぁと思います。
毎年雑誌で「食えない税理士・会計士」みたいな特集が組まれることがありますが、結構こういう特集には怒りを感じながら目を通しています笑
確かに税理士事務所はひと昔前みたいに何もしなくてもお金のもらえるウマい職業ではなくなったかもしれませんが、それって普通じゃないですか。
僕らが就職活動していたときは「バブルが弾けた後の不毛の10年」ってときだったので、何をするのもウマい話なんかありませんでしたし、
税理士になって税理士事務所に勤めてみたところ給料は安いうえ、激務で本当にブラックな業界だと思いました。
ただ、今思えば、右も左もわからない素人だった僕をクライアントが顧問料を払いながら育ててくれたんだと思います。
激務なのもそりゃ当たり前の話で、知らない知識と経験を書籍で調べたりしながら、クライアントには実際にサービスを提供しなければならないんですから、大変ですよ。
なので、大小ありますが失敗してご迷惑をかけてしまったこともありましたが、クライアントに正直に謝ったところ「別にいいよ。しゃーないやん。」と許していただき、二度と同じ失敗はしないと心に誓いました。
とまぁ、過去何がしかの関与をさせていただいたクライアントには感謝していますし、今のセルボ・クレールのクライアントには本当に感謝しています。
そんなこんなで10年以上税理士をやってきましたが、税理士になって後悔は一切ないです。
ただ、もう一度生まれ変わっても税理士になる?って聞かれたら、今度は政治家かIT社長がいいな、なんてね笑
税理士になった直接のきっかけは大学時代にしょーもない「営業」にはなりたくないと思っていたことが大きいです。
大学の周りの友人達は「新卒チケット」を最大限活用しないとって感じで、みんな就職活動をして、それなりの会社に就職していきましたが、僕は大原簿記専門学校で税理士試験の勉強をしていました。そもそもこの大学3、4年生の時期が分岐点だったんだろうと思います。
僕は高校から同志社大学の附属校に通っていましたから、特段大学受験もなく、高校から大学二年生まで目一杯遊んでいました。
高校野球で甲子園をガムシャラに目指すでもなく、バイト、コンパ、スケボーに明け暮れる毎日で「大学生」という特権階級を有効活用していたんでしょうが、差し迫る就職活動に際して自分には何もないと段々意識するようになりました。
その時に思ったのが「営業はやりたくない。」です。
就職活動する人の大多数は就職して何らかの営業をやることになるんでしょうから、僕も就職活動をしていたら今頃は何かの営業をやっていたと思います。
やりたくないと思っていた営業を、今では税理士事務所を開業して一応はやっているのですから皮肉なもんですよね笑
大学生の頃は「最悪包丁を売ってこいって会社に言われて、それを売るような人生でいいのか?」と思っていました。
就職活動で行きたい会社に行けるはずもなく、その後妥協の繰り返しの人生でいいかのかと考えていたんですよね。
結果、税理士試験の勉強を4年間やることになるのですが、今思えば相当リスキーな選択をしたと思います。
試験に受かったから良かったものの、受からなかったらフリーターやってますよ。
今では「営業」の難しさはよくわかります。
営業をやるには、「商品知識」、「セールストーク」、「人間性」、etc.の総合力が必要なんですから、一番の花形の職業だと思っていますし、
今の僕なら「切れない包丁」の営業もできるんじゃないかと思います笑
ただ、僕の場合、嘘は絶対につかないので、常に正直に対応するようにしています。その方が精神衛生上楽なので笑
大分話がそれました。同志社大学の商学部に進学したのは、将来は何らかのコンサルタントになりたいという思いがあったからなんです(詳細は大阪事務所のHPで)が、大学では何も身になるような勉強はできませんでした。授業には真面目に出てノートを取っていたんですがイマイチ理解できませんでした。そりゃそうだと思いますよ。居酒屋のアルバイトしかしたことのないような奴が組織論やマーケティングの話を聞いたところで理解できるはずがないんです。
大学2年の終わりの方にゼミの選択があるのですが、そこで希望していた「マーケティング」のゼミに入ることができず、第5希望ってか、残りものの「東ヨーロッパの経済」のゼミになってしまい、大学でこれ以上時間を費やしていても無駄だと考え、大原簿記専門学校の中小企業診断士の勉強をしようかと思ってパンフレットをもらいに行きました。で、親にWスクールさせてもらえないかお願いしたところ「税理士やったらやってもええ。」と言われてしまい、税理士受験のセミナーで講師できていた税理士さんが「最近の税理士さんはコンサルティングに力を入れられている方が増えていますよ。」ってのを真に受けて、そこから地獄の日々がはじまるのです。
大学3年生のときに税理士試験の「簿記論」と「財務諸表論」を受験したのですが、儚くも玉砕していまい、これでもはや後がなくなってしまいました。
あわよくばこの2つを合格したら就職活動にスイッチしてやろうという下心もなかったわけではありませんでしたが、結果、僕のマインドはもう「税理士」にしか向かわなくなりました。その頃はまだ「税理士」とはどんなものかもあまり理解していなかったのですが、今更引き返せないところに追い込まれてしまっていたんです笑
みんなが就職活動している最中、僕は大原簿記専門学校の自習室に篭りひたすら勉強していました。
一番切なかったのは大学の卒業式に勉強道具の入ったカバンを背負って私服で出席したときです。みんなはそれぞれ就職先も決まり、大学卒業ってのもあって晴れ晴れした感じではありましたが、僕の時間は税理士試験の勉強をはじめたところから止まったままなんです。
卒業証書は各ゼミで配布されるのですが、僕は「東ヨーロッパの経済」に行かなかったので、大学4年のときに一つ下の「会計学」のゼミに混ぜてもらったいたため、その「会計学」の会ったこともない同級生に混じって卒業証書をもらいました。他の人からしたらこいつ誰?って感じでしたね。多分笑
卒業式の後、飲みに行く?と友人に誘われましたが、授業があるからと嘘を言って断り、大原簿記専門学校の自習室で勉強しました。今思い返してもホントしんどかったですね。
その後3年間で税理士試験にストレートで合格するのですが、合格してやっとスタートラインに立てたというのが、そのときの心境です。
(合格科目:簿記論、財務諸評論、法人税、相続税、消費税)
ただ、税理士試験に合格したとはいえ、実務経験のない状況ではどこも採用してくれませんでした。
大原簿記専門学校の就職フェアに行き、何社か面接を受けたのですが全て落選してしまい、そうこうしていたら税理士事務所の募集も締め切られ、どこにも行けなくなってしまいました。
せっかく働ける状況になったのに働く場所が見つからない、、、、ハローワークにも通いました笑
そんなときに日本中央税理士法人に拾ってもらうのです。
大原簿記専門学校に昔あった就職ファイルという求人ファイルがあるのですが、そこに日本中央税理士法人が出ていました。
ハローワークに行った後でタバコを吸いに大原簿記専門学校の梅田校に寄ったのですが何の気なしに開いた就職ファイルで日本中央税理士法人を見つけ、当時はまだ珍らしかった「税理士法人」でしたし、HPもカッコよかったので、すぐ応募、即採用されました。
当時の所長から「明日から従業員旅行やねんけど、一緒に行かへん?」って面接時に誘われたのですが、あのとき気づくべきでした笑
本当あの事務所はブラックでしたね。たまげる程に。ただ、本当なんでもやらせてもらえましたので、2年半しか勤務していませんでしたが、大抵のことはできるようになっていました。
ただ、実際に仕事をしてみたら税務の話ってほとんど実務では出てこないので、俺は何のために税理士になったんだろうと悶々としていました。「税務ハンドブック」という本があるのですが、それだけあれば仕事は済んでしまうんですよ。ホント泣
税理士ってこんなもんなんかなぁと思っていたときに、運良く税理士法人トーマツに拾ってもらうことができ、そこで本当の意味でのプロフェッショナルな税務の仕事をさせてもらう機会に恵まれました。
トーマツでは伸びていた鼻っ柱をへし折られ、先輩方から徹底的に税務を叩き込まれました。毎日深夜まで条文を読みましたし、調書も嫌という程作りました。
けど、知的好奇心はいつも満足していたので、ちっとも苦にはなりませんでした。正直トーマツは税務的にドMじゃないともちませんよ笑
トーマツではじめて税務の奥深さや難しさを体感することができ、「税務って本当に面白い。」って思えるようになり、結果、今の僕ができあがりました。
日本中央税理士法人の元所長とトーマツの諸先輩方に感謝しています。あざーす笑
税理士になってからの挫折は?
税理士になってからの挫折は特に思い当たりませんね。
人生の大きな挫折は大学2年の時にゼミが「東ヨーロッパの経済」になってしまったことと、初めて受験した税理士試験(簿記論、財務諸表論)が不合格だったことです。
東京事務所がうまくいかなかったときは初めての挫折になるかもしれません笑
株式投資は挫折の連続で、会社の業績云々とは異なるところで株価が動くので、アメリカ市場や最新の技術、なんでもとにかく勉強しました。僕の周りで同業者の友達も株式投資をしていますが、それぞれ投資対象、勝敗が違ってくるので、とても面白いですね。
最近では仮想通貨関係のビジネスをやってるお客さんがくるかもしれないなぁと思い、勉強のために購入してみましたが、購入から1年以上沼に浸かったままでしたが、ようやく世間が追いついてきてくれたようです。
その挫折からどうやって復活しましたか?
大学のゼミに落ちたことによって、人とか組織とかに頼っていては本当に自分がやりたいことはできないと教えてもらいました。
その経験は今も活きています。結局何でも自分でやるしかないんですよね。
税理士試験の簿記論と財務諸表論に落ちたことによって、徹底的にやり抜くことが大事だと教えてもらいました。
上位3割の合格ボーダーラインを目指すのではなく、徹底的にやらないと成果はついてこないということですね。
税理士受験を通して、もう一つ大事な事を教わったのですが、何でもただ闇雲にやればいいということではなく、結果を出すためには「何が必要なのか?」を絶えず意識しながら、物事を進めていくことが如何に大切かを教わりました。
株式投資については、今では「イナゴ」を卒業し、「銘柄山師」に転向しました。「銘柄山師」とは株価が低いうちに面白い会社を見つけて先回りで長期保有する投資スタンスです。そっちの方が精神的にも楽ですし、僕の性格にもあっている気がします。
やっぱり、好きな会社を応援したいんですよね。
仮想通貨については、技術的な裏付けのあるモノを中心に購入していましたが、最近とてもいいニュースが飛び込んできて、お陰様でいい思いをさせていただいています。
やはり、何をやるにしても「信念を持って諦めない」ってことが大事ですね。
「投資は辛抱」とは、よく言ったものだと、つくづく思います。
爆下げしたときは、ゲロ吐きそーになりましたけどね笑
セルボ・クレールでの夢は?
開業から5年経って、ますます感じるのが、「税理士業のビジネス・ライク化」です。
税理士とクライアントの関係ってもっと繋がりの深い、カッコよくいうと「絆(信頼感)」みたいなものがあると思っているのですが、世間の税理士事務所は「外注屋(記帳代行会社)」のような印象を受けることが多いです。
昔の税理士の大先生とクライアントの関係って、若いころはなんかイヤだったんですが、事務所のスタッフではうかがい知れない「絆」みたいなものがあったんじゃないかと、税理士事務所をやっている今ならそう思います。
でも、そういう味のある税理士事務所は記帳代行業者のような税理士事務所に淘汰されてどんどん減ってきていますよね。なんか残念です。
なんか年々税理士という仕事の魅力が毀損していくようで心苦しいです。
「セルボ・クレール」ではクライアントとの「絆(信頼感)」を大事にしながら、カッコいい事務所をやっていけたらいいなと思います。
大阪事務所ではある意味実現できたんじゃないかという自負がありますので、東京事務所でもたくさんのいい「絆(信頼関係)」を増やしていきたいと思います。
また、これから税理士になろうと考えている人に「税理士」ってカッコいい職業だなと感じてもらえるようなPRや活動をしていきたいと思います。
なぜ、東京に来られたのですか?
スタッフの渡邉とは税理士試験の受験時代からの友人なのですが、彼から「あずさ監査法人を辞めて、セルボ・クレールの東京事務所をやりたい。」との意向を受けたことが直接の理由です。
別に「うちに入れや。」とか勧誘をしたつもりはないんですけど笑(ここんところ渡邉的には疑義があるようですが笑)、大阪事務所のHPにとても共感してくれたみたいで、「俺もこのポリシーで東京でやる。」って言ってました笑
木下ともゆくゆくは東京に事務所を出そうかという話はしてはいたので、これはいい機会だと思い大阪事務所は木下に任せて僕が東京に来ることになりました。
大阪に事務所を出してまだ3年も経っていない時期に東京に事務所を出すのはどうかとも思ったのですが、いろいろなクライアントに相談したところ、「そういうノリっぽいところがセルボらしくていいやないか笑」という意見が大勢だったので、僕が東京に行くことでご迷惑をかけてしまうクライアントからも「頑張ってこい。」と言っていただき、晴れて東京に来たって感じです。なんか嬉しいような寂しいような、今はそんな気分です。
渡邉は当初FCのイメージだったようなのですが、我々としても東京は失敗できない最重要エリアと考えていましたので、人任せにしていたら絶対失敗すると思い、事務所の代表自ら東京に来るっていう状況になってしまったわけです。
渡邉にも「僕が東京に行きます!」って言ったら、うちらの本気度を理解してくれました。
木下からは東京では「セルボブランドの安売りはせんでいいから。」と言われていますので、大阪とは異なるコンセプトとサービスラインでやっていこうかと思います。
お気軽にお問い合わせください。
ご質問は随時お受けして税務相談室にエントリーさせてもらいます。
個別、具体的なものから人生相談まで広くお受けしています笑
得意分野は投資(株式、仮想通貨)関係、IPO・資金調達、法人税務や節税です。事業承継絡みのお仕事もやりますが、人の生き死にを商売にするような相続税申告はあまり好きではありません。ご家族の顔を見ると感情移入しちゃうので。
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